更新日:2017/11/27 第二十八回 泰永書展-ハンガリー国際交流展− レポート by 松里鳳煌 |
タイトル |
第二十八回 泰永書展−ハンガリー国際交流展− |
会期 |
時期:9月28日(木)〜10月1日(日)4日間 時間:11時〜17時(初日のみ12時〜) |
会場 |
東京芸術劇場・アトリエイースト(元展示室1) |
来場者数 |
計286名 28(木)[雨]40名/29(金)[晴]64名/30(土)[晴]95名/10/1(日)[晴]87名 |
展示内容 |
作家:36人 書作:37点/来賓作(ハンガリー):ゾルタン・ガアル(写真家) 作品:モノクロ写真20点 |
配布、閲覧物 |
・作品集B5、100部(有料500円) ・案内ハガキ、400枚配布 ・フライヤー、200枚配布 ・第二十八回泰永書展ハンガリー・ケチケメート市展〜プレゼンス〜ご報告A4、400枚(無料) ・釈文A4、50枚(無料) ・チラシで見る泰永書展 ・作品集で見る泰永書展 ・The 28th TAIEI Calligraphy Exhibition in Kecskemet city JELenlet 活動の軌跡 |
事業主体等 (敬省略) (順不同) |
・主催:泰永会・国際交流展実行委員会 ・後援:駐日ハンガリー大使館、ハンガリー・日本友好協会、ケチュケメート・青森友好協会 ・特別協力:ラダイ博物館 ・表装:一照堂 ・主宰:野尻泰煌 ・作品撮影:スタジオ美苑 松里浩義 ・DTP&デザイン:松里鳳煌 ・印刷:也太奇、潟Oラフィック |
※作品集誤植の訂正:P8 ✕友好協会協 ○友好協会
[代表より]
ベートーベン交響曲第八番の調べのする車内、堅く荘重な本場の演奏を耳に古調床しいブダペスト市内を望む先日の旅。
西洋音楽には複合的に音のからみあいで出きる多声音楽。旋律に伴奏がつく単性音楽に二分される。日本雅楽などは一つの旋律に向けて楽器の持つ特性に応じて奏でる。楽器の能力によってそのままに奏でられない太鼓など、さまざまな楽器の本領にしたがって旋律に向けた音楽手法を取り、高次のハーモニーへの創造の糸口に日本文化の原点を知る。
音楽に限らず人の特性に応じて別の異なる働きで対照に近づけて行く道程を思う時、個の独自性にこそ人間仕事としての豊かな振れ幅の存在を現出できる。とかく受け入れ幅の狭い合理化傾向にある貧困ともいえる観念社会を前にして、日本文化の担える意義はけして小さくはない。
今回も国際交流を兼ねてのラダイ博物館での書展。欧州の遠くはなれた異文化との接触に何を生じるのか今後も興味はつきることを知らない。
[フォトギャラリー] (入口から会場全体) (ハンガリー交流作:ゾルタン・ガアル作) (奥から会場入口まで) (メイン壁面) (代表の作物) (春のハンガリー展にご協力頂いた皆様へ向け) * |
追悼・森 寛翠
(書家/泰永会・永久会員)
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盲亀浮木の巡り合せ
ベレー帽の似合うダンデーな出立の書家、森寛翠氏が先月の八月十四日、九十一歳で鬼籍に入られた。三十年前、星大寛氏の高弟で知られた寛翠氏、師亡き後既に一家を成し得ていた彼に、王子の喫茶店で一幅の書を手渡していたことを機に、尋常ではない御縁のはじまりになった。
七十数年前の大東亜戦争の最中、震洋海軍特別攻撃隊へ志願の経歴を持つ者にとっては当然の行いともいえるが、稽古には二単(二百枚)を越す条幅の束を目の前に差し出す気概に周囲は言葉もなく、結果として九単(九百枚)の小画仙半切を使い切って一点の作品を仕上げるほどの厳格さ。六十にして腕の鍛錬に拍車も加わり書三昧の第二の人生の幕開けを見せた。千葉曽我から一時間半の道程、東京駅で最上級のステーキの昼食を取り十条へ来る。四五十センチもある半紙の束と条幅の束を提出し、疑問な点は歴代の多くの書論を読み耽り、余白もなく整然と書かれた大学ノートを手にして質問の嵐がなつかしく蘇る。
泰永展には二回展から参加。錐画沙の論をもとに漢隷を基調にした極めて整斉な結体を持つ流麗な八分を好み、琴線に真綿を包む作調を理想とした。
数年間の闘病生活を経て、昨年の暮れ、身辺整理、残りの条幅を春には送ります。」と、一通の最後の葉書が届き、人生を象徴する潔い幕切れである。八月十八日朝、御子息の奥方より連絡を受け、「この世で先生のことが一番好きだったので、これからもそちらえ伺うと思いますので、よろしくお願いします。」と、極めて丁寧な語調で森さんの御家族らしい言葉が帰ってきた。身も軽くなった彼にとって、今後も泰永展は必須の条件と推察できる。それにしても、死して尚活動を継続する森さんの気概、かたちを変えて如何様に転じられるか、お手並を拝見する楽しみもできた。このような追悼文には末尾に合掌を記すものだが、さしあたりそれもお預けらしい。
野尻 泰煌
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八分隷に魅せられし書家
出会いは本人より作品が先だった。師の奥方より泰永書展を託された年、作品選別を手伝っていた最中にそれはあった。二×八尺横に書かれた流麗で美しい八分隷。目を奪われた。書作品で感動を得たのは師に次いで二人目。次々に選別される作品を見て、師への不躾を承知の上で「いただいてもいいですか?」と尋ね、次点を持ち帰ることが叶う。自室の欄間に飾り一人感動に浸る日々。「どんな人だろう」想起せずにはいられなかった。その年の書展で出会った際に、古典”名を聞くより”にあるように大きく乖離を感じる。それが森寛翠という書家を余計に私に刻むこととなる。
三年ほど経た勉強会のある日、機会を得たと体感した私は「飾らせてもらってます」と本人に白状する。「やめてよ、そんな失敗作!」最初は憤り、後に照れくさそうに彼は言った。意に介さず「とても素晴らしいです」と返すと、真顔になり「先生には遠く及ばない」と肩を落とす。その姿に、書の、書家の厳しさを感じ、受けた衝撃の体感は暫く離れられなくなる。
森さんの心の眼は常に師を向いていた。「まだ及ばぬ、まだか、まだなのか、もっと、もっと近くに、もっと、もっと」 山のように書いてくる。文字通りの山。自分の目に適わないものは捨てた上で山を積む。ある日、「日にどれくらいですか?」と尋ねると、毎日、朝から晩まで、三百六十日はやっていると答え、「時間はこれ以上どうしようもない。恐らくね、何か秘密があるはずなんだよ」と師の手練手管を探求していた。そして研究を通し「紙や筆、道具が増えて仕方が無い」そう言って笑う。
時折見せる鋭さは、正面から真っ向勝負の袈裟斬りを挑み、一太刀浴びせるまでは下がらないといった迫力を伺わせた。寛翠氏を通し、道の厳しさを感じていた自分がいる。森さんのことだ、次なる世界でも筆をとっておられるのだろう。その目線はやっぱり師を向いているに違いない。
松里 鳳煌