更新日:07/11/03

第十八回 泰永書展

〜書と筆〜レポート

 

タイトル

第十八回 泰永書展〜書と筆〜

会期

時期:10月10日(水)〜14日()5日間

時間:11時〜18時(初日のみ12時〜)

会場

東京芸術劇場 展示室T

来場者数

計278名 10日:54名/11日:45名/12日:31名/13日:66名/14日:82名

展示内容

書作:20人 23点

配布閲覧物

作品集:100部

平成の巨人 野尻泰煌B5チラシVer4:45枚(無料)

宣伝用チラシ:280枚

作品釈文:40枚(無料)

対談「書と筆」:35枚(無料)

泰永会入塾生募集ハガキ:15枚

書藝要説サンプル:3冊(閲覧用)/過去泰永書展作品集25冊

業者等

(敬省略)

(順不同)

主宰:野尻泰煌

企画制作:泰永会事務局

表装:(株)劫榮麓

作品集写真:野尻貢右/松里昌立(写真家)

宣材写真:松里昌立(写真家) [Web]

印刷物制作:也太奇-YATAIKI- [Web]

作品集印刷:サンライズパブリケーション(株)

[第十八回泰永書展]

(会場全景)

「書と筆」

 昨今はメディアの影響もあり”書”に対する関心が高まりつつある。書という存在が一般の人にとってリアルに思えない時代を半世紀ちかく経て、再びリアルに感じつつある時代へと移行してきたのだろうか。なぜ書に興味を持つのかその精神性には謎が多い。特に日本人は書という存在を一旦は遠い彼方に追いやった。自宅に掛け軸はあるだろうか?色紙をリビングに飾っているだろうか。恐らくいないだろう。にも関わらず、こうして再び関心を示す偏差には、日本人には捨てがたい何かを書に感じると言えるのかもしれない。私は常々、書は日本の文化とは言いがたいと思っていた。文化といえるほど日本人の生活や精神に根ざしていないと思ったからだ。日本人は外にばかり目を向け書を忘れようとした。書は絵に描いた餅になっていた。飾られていた書は外され捨てられ、永久に忘れ去られる。そう思っていた。しかしこうして忘れさっても不思議ではない書が、この電子飛び交う現代日本において、再び人々の、特に若者の心を掴みつつある現実には、書に対峙する時に受ける感覚が、今までの日本人にとって忘れていた何かを満たすものを備えているからかもしれない。書に向かう時の人々の動機は色々だろう。心が落ち着くから、誰でも出来そうだから、簡単だから、読めるから、勉強しなくてもいいから、楽だから、目が鍛えられるから、鑑識眼がつくから、頭がよくなるから、などなど。それらの多くには誤解も含まれているのだが、いずれにせよ書に求める精神性というのは興味深い。ある人は将来書家に、そこまでいかなくても書道塾の先生に、趣味に、手慰みに、などと思う皆々の思いの根底には、今迄の日本人が忘れ去ろうとしていた何かがあるのかもしれない。電子の世界ではけして満たされることのないナニカを。どうあれ、心が動くということはとても大切だ。動機は生きることに結びつく。その動いた思いを、感覚を大切に、同時に囚われず、アレヤコレヤと考えずに真っ直ぐ歩んでいくのが一番なのだろう。

 さて、本年は更に一歩踏み込み”書と筆”というサブタイトルをつけた。意外に知られていない筆に纏わる素朴な疑問。どこまで筆は水の溶かすのか?なぜそうするのか?嘗ての名跡はどのような筆で書かれたのか?それら素朴な疑問をなるべくわかりやすく丁寧に論じた対談集(書藝要説21号掲載)を要約して配布した。少々一般の方には興味をそそらない内容であったろうか?そう思っていたが、展示会後に「とても興味深い内容だった」「このように歴史を踏まえて解説されているととてもわかりやすくて面白い」など、外部からご感想をいただけた。読み逃していた方は改めて本誌掲載の対談を読んでいただければと思う。

 「5日間開催」 今年はタイミングに恵まれ10月の最も気候がいい時に開催することが出来た。会場側の都合で5日枠しかなかったが、激しい競争の中でも運よく枠がとれた。(君江さんの念力かもw) 業界としては定例的に行っていた発表の場を断念される会も増えているようだが、我が会はどうあれ続けて行きたいと思う。それは野尻先生の何よりの願いでもある。継続は力なり。継続こそ力なり。継続にも色々だが、1年に10枚とて継続と言える。それぞれの立場や環境、興味の許す限り取り組む。これが継続と言えよう。

 「泰永会の独自性活きる」 泰煌先生の恒例の全紙横楷書作を筆頭に、今年も思わずもらした先生の一言「去年も良かったけど、今年は間違いなく最高だね」との言葉からも充実した展示内容となった。楷書、行書、草書、金文が、3×8、半切×2の大きなものから、全紙横、半切、半切横、半紙、様々なサイズで展示され多種多少な展示構成となった。特に、半切×2の展示方法は泰煌先生ならではの空間を活かした奇抜な発想であり(左写真)、会場空間をも活かした作品を際立たせる美しい表装方法となった。本来の表具の意味にも忠実といえる。芸術劇場の高い壁面空間をいかんなく発揮した展示であった。先生も 「これは予想以上にいい!私の個展でもこの表装形式を取り入れよう。泰永会でも今後の目玉にしよう!」と感動が口を伝う。私も草稿が間に合えば来年はこの様式で書いてみたいと思う。 「今年の注目」 先に述べた半切×2を見上げるように鑑賞いただくお客様は多かった。そして、ここ数年先生の全紙横楷書作品が来場者の注目を浴びている。関連して特に金文横半切作に注目が集まったようだ。過去日本人の嗜好は草書に対する美感が中心であったが、書に馴染みの薄い若者を中心に楷書や篆書、ひいては隷書、金文といった構築美を伴う作品への関心が高まっているかに思う。それを思うに、ここ数十年の日本においては、書に馴染みのある生活は皆無といっていい環境であった。それが現在も進行しているわけだが、それが結果的に書に対する今までの先入観を一方では薄れさせ、字としてではなく、一つの形状として構築として純粋に見る環境が徐々に整っていったのではないかと考える。その結果がここ数年来の楷書作品類に対する価値評価の上昇につながるのではないか。楷書を、ひいては書作品を読むのではなく、鑑賞するという本来あるべき純粋な姿勢へと自然に導かれたのではなかろうか。それが今の一般の、特に若い世代には芽生えているのではなかろうか。とすれば、書は新たな活力を得て新時代(厳密には回顧だが)へ向かおうとしているかもしれない。本来の書の姿を取り戻しに。 泰永会事務局総長 松里鳳煌